千代田線6000系 引退!

みなさま、こんばんわ。

今日は千代田線6000系の最終運行日なので、超沿線民として、何が何でも行かないといけません。

と、いうことで、またまた行ってきました。

まず行ったのは北綾瀬駅

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最終運行は6102Fです。

さらに、

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窓下に「47年間ありがとう!」の掲示が。

粋な演出に感謝です。

今回は、すぐに撮らせていただけたので、北綾瀬支線の電車に乗って綾瀬駅へ。

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6000系最終運行なので、人が多かったです。

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行きは霞が関行きで、乗ります。

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銘板は昭和45年と書いてあります。

自分が生まれる前から走っていたのです。

川崎重工製です。(川崎重工業の鉄道製造部門も大変なようで・・・)

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約30分で霞が関駅に到着。

室内を撮影しましたが、6000系と言えば・・・。

その1、6000系の初期製造分は貫通ドアが5号車と6号車の間だけしかなく、「キノコ形」とか言われていました。

更新工事で貫通ドアが設置され(消防法で貫通ドアを付けないといけないらしい)車内を見渡すことは出来なくなりましたが、乗ってた側の感想からいうと、冬は車内に風が吹き抜けるので、とても寒かったので、いい迷惑でした。

その2、初期車はもちろん車内にクーラーなんて無く扇風機だけで、トンネル冷房だったので、夏はやはり車内は暑かった(今ほどでは無かったけど)

その3、6000系は客ドアの窓が高い位置にあり、幼少のころ6000系に乗ってもドアから景色が見えなく(背伸びしても見えなかった)6000系が来ると、とてもがっかりした。

その頃の営団地下鉄の車両は客ドアの窓の位置が高かったですね。

その4、鉄道模型の話ですが、カトーから営団6000系の製品化が発表された時、とても喜びましたが、カタログでの予告だったので、「カトーのカタログ新製品発表は10年待たないと」なんて、言われていて昔のカタログに出ていても、次の年には消えていたなんて、当たり前でしたね。

なので、10年は無理だなと、思っていてイベントでカトーの社員に「6000系出すの10年後でしょ?」なんてバカにしてやったけど(その時は謝られた、絶対に出すとマジで言われた)結局カタログ発表から1年半くらいに発売された(もちろん買いましたよ)

その5、幼少の時に遊んだプラレールで、当然6000系は持ってました。車体が銀メッキでピカピカだったのは、今でも印象に残ってます。

その6、6000系のグッツなんて無いと思うけど、しいて言えば、うちにはこれがあります。

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うちの居間に千代田線と常磐線(緩行)の路線図が貼ってあります。

どちらとも、ラインカラーが東西線になってしまいましたが(笑)

盗んだものではなく、どちらともイベントで正規に買ってきたものです。

上は6000系で、下は203系で使ってたもの。

来客には「盗んできたの?」なんて、よく言われます(笑)

沿線民ですから、これくらいは持ってないと(?)

と、いうことで、あまりいい印象はないですね(笑)

では、折り返し綾瀬行きに乗ります。

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カメラの設定間違えまして、こんなことに・・・。

ちなみに、窓下の掲示は「6000系ファイナルラン」と書いてありました。

多分、人生最後の乗車です(インドネシアに行けば乗れるけど)

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霞が関駅の端も凄い人の多さです。

どこの駅も撮影する人が多かったです。

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北千住駅を出たところで急停車。

10号車の非常ボタンが押されたとのことですが、たぶん10号車の馬鹿どもが押したに決まっている(絶対に確信犯だよ)

5分くらい停車して、運転再開。

そして、綾瀬駅に到着。

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最後のお見送りでホームには凄い人・・・。

これ以上前には行けませんでした。

自分は最後はケータイで動画と撮って、最後を見届けました。

6000系は最後は歓声(じゃないな、罵声だよ)の中、ホームを去って行き、47年の営業に幕を下ろしました。

自分は最後は最終日に乗って、ちょっと撮影できたので、もう6000系に対して悔いはありません。

あまりいい印象は無かったけど、沿線民にとって当たり前の存在だった6000系がとうとう引退するとは、まだ実感が湧きません。

日本の鉄道史上、間違いなく名車の1つになる6000系も、とうとう過去のものに。

その功績は永遠に輝き続ける・・・(また某鉄道番組のシメのセリフ)

では、また。